都合のいい願望と諦めしかない。

半年前まで住んでいた大阪に週末が来る度帰っている。

友人と会うためだ。

 

半年前までの、犬小屋みたいなワンルームマンションで

隣の部屋から聞こえてくる違法民泊でゴキゲンな

外国人観光客の笑い声を聞きながら鬱々と眠りについていた時と違い、

俺にとって大阪が重要な場所になっている。

 

今のように知らない田舎に一人で暮らすという事は仕事以外での

他人との関わりをシャットアウトする事でもある。

慣れたと勘違いしていた孤独を休日の間中噛み締める事に

ウンザリした結果、ミナミにある友人が経営している酒場で酒を飲む。

知り合いと出くわす事がほとんどで、大抵はそのまま一緒に酒を飲む。

 

誰とも会わなければマスターである友人とダラダラと喋る。

2,3時間も喋るとなんとなく一人ぼっちではないという感覚を味わえる。

店が閉まれば漫画喫茶で眠った後、ソソクサと2時間かけて

家に帰る。

 

32歳になってようやく、やっと俺は自分が寂しい事を自覚し始めた。

 

今の生活に不満がある訳ではない。

一人でyoutubeを垂れ流しながらハイボールを傾ける位が、

仕事以外で俺ができるギリギリの活動内容だから、

こんなに快適な状態は無いと思っている。

今が永遠に続くのなら。

 

少ない友人たちは少しずつ結婚していき、

呼べば応える関係性ではなくなり、

年に一度くらい顔を突き合わせるのが精一杯になっていく。

 

彼らが幸せになっていくのは勿論喜ばしい事だが、

自己中心的に考えるのなら俺の大事な飲み友達が

訳のわからんポっと出の女にカスめとられた。

これが俺の本音だ。

 

「やっぱり寂しいんだな」

 

と時折愚痴をこぼすと、友人たちは口を揃えて

「30過ぎれば彼女作って結婚して家庭でも持たないと

退屈と寂しさでどんどんつまんねぇ人生になっていくんだと思うよ。」と言う。

 

その通りだとは思う。

実際問題、今の快適な生活は快適なだけで目標も目的もなく、

食事のように日々を消化しながらただ無難に生存しているだけで、

娯楽として毎日のように行う映画や音楽の鑑賞は新しい作品が常に生まれているのに

ほとんどの物に既視感があり、興味を持つことが難しくなってきた。

 

飢えてないから幸せだ。と思える程苦しい人生を送ってきたわけでもない俺は、

ウスボンヤリした気分で随分先の死を待っているだけのように思える。

だけど、だから彼女を作って、家庭を築いて行こうと俺はどうしても思えない。

 

単純に異性との交際経験が極端に少なく、

10年以上も彼女がいないからイメージができない部分もあるが、

本質的に好意を持っていたとしても、

何年間も一緒に過ごして寝食を共にしたとしても、

尊重したり理解を深めていく事ができたとしても、

誰かが一緒にいる時点で俺はリラックスできない。疲れてしまう。

 

今なら何かしらの病名をつける事だってできるかもしれない。

けれども定義付けに意味はなく、俺はそういう人間だ、という悲しい結論しかない。

俺は母も父も兄も友人も愛してはいるが3日以上一緒にはいたくない。

帰りたい。帰ってほしい。そう思ってしまうタイプの人間だ。

 

その癖自意識も承認欲求も人並み以上だから、

矛盾した感情のバランスを取りながら人と関わったり関わらなかったりを

繰り返してる。

そんな人間にパートナーなど望むべくもない。

 

しかし寂しい。ただただ寂しい。色んなオッパイに囲まれて安らかに眠りたい。