肥大化するプライドと縮小される目標

先日、久方ぶりに文章を書いた。

とりとめのない俺の日常のボヤきみたいなモンではあるが、

読み返してみるとなかなか悪くない。むしろいい。

 

へへへ、と笑いながら何度か読み返すうち、

誰も読んでくれないのもつまんねぇと思いSNSで告知をしたところ、

ゼロイイネの連続記録がストップ、

とんと縁のないリツィートとかいう概念を久し振りに思い出し、

いつもより早い時間に携帯電話の電池が切れた。

 

認められるって、こんなに気持ちいいんだね!

満たされた承認欲求でお腹がいっぱい!今夜はグッスリ寝られそうだ!

なんてポップな話ではない。

 

俺は今非常にムカついている。

正確にはムカついている事を思い出した。

 

思えば12年ほど前からインターネットの片隅で

頼まれもしないのにガタガタとキーボードを叩き続け、

これでもか、これでもか、と繰り返すうちに首から加齢臭が

漂いはじめた。光陰矢の如しとは成程確かにそうかもしれない。

 

そして2018年9月27日、ウンザリする仕事をなんとか片付け、

作業ズボンの洗濯と、研いだ米が水を吸うのを待ちながら、

やはり俺はまたキーボードを叩いている。

何故か?

 

全く納得できていないからだ。クソのような文章が量産される

この平成30年において、俺が書いたラピスラズリのように

美しい文字の調べは悲しいくらいに認められていない。

イイネの数が30を超えた。

10人以上からリツィートされた。

何から何までズレている。

そんなもので納得できるわけがない事を思い出してしまった。

 

メディアに取り上げられる個人、注目される意見、集まる賛同。

そういったものが俺は羨ましくて妬ましくて仕方がない。

「テメーとオレと何が違うんだ?アァ?」狂おしいほど真っすぐな俺の本音だ。

 

違うのだろう。違うからこそ差ができる。

仮に俺の思うように俺の文章が宝石のように美しかったとしても、

そいつを皆が好むとは限らない。

俺が死ぬほど見下している、

俺より注目されているヤツは俺がしてこなかった何かを

してきたり、或いは俺が投げ出してしまった事を継続したんだろう。

 

たまに俺は、何年かに一度、こんな風に拗ねてみる時期がある。

腹立たしさに耐えかねて、思いの丈を誇張なしに

ぶちまけてしまう時がある。

 

そんな時に掛けられる言葉は決まって

「私は好きだけどな。君の文章…」

「ずっと読んでるよ。恥ずかしくって口には出さないけれども」

 

なんて感じの優しさに満ちた言葉だが、

俺が望んでいるのはそんな義務的でおざなりなフォローではなく、

燃えそうな程に高い熱量を伴う称賛と、

俺が、俺だけが気持ち良くなれる理解の証のようなものだ。

 

そうしたイラつきに耐えかねて、実生活では田舎に引っ込んで

人との関わりを可能な限り少なくした。

「ストレスの少ない生活こそが俺の求めている本当のアンサー」

そう思い込もうとしている。

理想と実現のギャップに眩暈を覚えるあの感覚から

手っ取り早く逃避した俺は確かに少ないストレスで、

けれどもそれ以上に少なくなった満足感を抱えながら

霧がかかったような心持ちで過ごしている。

職場では穏やかな顔を張り付けて俺が仕事をしているからか、

「誰かに怒る事なんて、あるの?」と聞かれてしまった。

俺は、本当は俺はその瞬間まさに怒っている。

怒りすぎて面倒になってきているだけだ。

 

俺のまわりは俺を理解しないヤツばかりだ。

俺は、俺は俺は俺は・・・もっとチヤホヤされたいんだ。