お前らはマジで酒はほどほどにしとけよ

「私は死ぬまで絵日記を書いていたいんです。赤や黄色や緑、

そして時にはブルーを選んでも」

 

 

 

随分古いドラマのセリフだ。

医者が止めているのに、犯罪者となった恋人のために自分の病状を無視して

助けにいく女性の言葉。20年以上経っても覚えている。

 

「ブルー」という言葉が「憂鬱な」というネガティブな意味を持つという事を

知らない人もいるかもしれない。

 

 

つい最近の話だが、女性を好きになった。

誰にとってもそうだろうが、とりわけ俺にとっては

女性を異性として認識するという事自体が非常に稀な事だ。

10年ぶり、もっと前かもしれない。

 

飲食店の店員さんで、立ち振る舞いが美しく、笑顔が可愛い子だった。

「付き合ってくんねーかな。」

 

 

退店間際に雑にそんな事を言う俺は美しくはなかっただろう。

「無理ですねぇー」と笑いながらいなす彼女の態度も、

俺にとっては眩しく見えてたまらなかった。

 

友人に相談すると、たまたま彼女と友人が知り合いだったので、

少し強引だが友人と一緒にという条件付きで一緒に飲む事ができた。

 

飲んでいるときの彼女はやはり明るく可愛くて、

どうも俺は上手に言葉が出ない。自然グラスを傾ける回数が増えた。

 

 

気が付くと二人きり、大阪の路上でキスをしていた。

その前後、3時間、合わせて6時間の記憶が全くない。

 

 

気が付けば俺は家と正反対の方向へ向かう電車に揺られており、

携帯電話と履いていたはずのボクサーブリーフが無かった。

 

 

どうにかこうにか途中まで一緒に飲んでいた友人に

公衆電話から電話をかけると

「すごくイチャイチャしていたので空気を読んで先に帰ったよ。」との事。

 

 

これはもしかするとヤっちまったパターン?

 

淡い期待を胸に友人から聞いた彼女の電話番号に、

同じく公衆電話からかけてみる

 

「何もなかったよ。何も。ただ飲んで別れただけ」

 

氷のように冷たい声。

どうやら俺は何かをした。その何かがわからないが、

予想するに

 

①路上、ないし公共の場で脱糞した。

 

②突然彼女に対して「君は誰ですか?」と失礼極まりない質問を投げた

 

③望んでいない性交渉を強要した

 

 

本命①

対抗②

大穴③といったところだ。

 

 

通常リアリティーがあるのは③なのだろうが、

①と②以外は俺は経験した事がない。

 

 

平日の5日間は仕事が忙しく携帯電話を復旧させられる見込みがない、

彼女とlineや電話でゆっくり話す事はできない。

 

俺は仕事が終わると随分自宅から遠い、

彼女の働く飲食店へ行った。翌日は仕事だったが、

関係なかった。

 

彼女は俺を「必要最低限のコミュニケーション以外とる必要のない客」として

扱う。俺はいよいよ悟った。やはり何かしたのだ。

「俺はこの間、随分ヒドイ酔い方をしていたのかな。」

 

「別に普通だった。」

 

取りつくシマもない。

俺は考える。

普段の俺、酔って記憶を飛ばした俺、どちらが本当の俺なのか。

記憶を飛ばした俺は普段の俺が嫌う行為をいともたやすく行う。

悲しい。

 

 

しかしやはり俺なのだ。

俺から経験則や知性や理性を抜き取った人間が俺?

それは俺か?いや違う。けれど俺がすすんで彼を選択した。

シラフで好きな異性と向き合う事なんてできないから。

 

選ばれた彼は彼なりに彼を全うし、結果だけが

俺の目の前に転がっている。やはり俺が。俺はなんて浅はかなんだ。

 

 

では、酒を控えて、いつも通りの俺で、

好きな女性が隣に座り笑っている、そんな状況に俺は

耐えられたのか?無理だ。これからも無理だ。変われない。

 

結局俺は自分を優先する。いつだってそうだった。知っていたはずだ。

願ってしまった。祈ってしまった。

小さなきっかけで人生が好転するかもしれないと考えてしまった。

変われるかもしれない、女性がきっかけで、と

自分勝手な妄想を俺自身におしつけた結果がこれだ。

 

 

俺はやはり悲しいほど俺だった。

だけど不思議と気分はスッキリしている。

俺が彼女よりも俺と彼を愛した結果に過ぎない。

得たものはない、思い出しただけだ。

 

 

青いクレパスだけでも美しい絵は描けると。

都合のいい願望と諦めしかない。

半年前まで住んでいた大阪に週末が来る度帰っている。

友人と会うためだ。

 

半年前までの、犬小屋みたいなワンルームマンションで

隣の部屋から聞こえてくる違法民泊でゴキゲンな

外国人観光客の笑い声を聞きながら鬱々と眠りについていた時と違い、

俺にとって大阪が重要な場所になっている。

 

今のように知らない田舎に一人で暮らすという事は仕事以外での

他人との関わりをシャットアウトする事でもある。

慣れたと勘違いしていた孤独を休日の間中噛み締める事に

ウンザリした結果、ミナミにある友人が経営している酒場で酒を飲む。

知り合いと出くわす事がほとんどで、大抵はそのまま一緒に酒を飲む。

 

誰とも会わなければマスターである友人とダラダラと喋る。

2,3時間も喋るとなんとなく一人ぼっちではないという感覚を味わえる。

店が閉まれば漫画喫茶で眠った後、ソソクサと2時間かけて

家に帰る。

 

32歳になってようやく、やっと俺は自分が寂しい事を自覚し始めた。

 

今の生活に不満がある訳ではない。

一人でyoutubeを垂れ流しながらハイボールを傾ける位が、

仕事以外で俺ができるギリギリの活動内容だから、

こんなに快適な状態は無いと思っている。

今が永遠に続くのなら。

 

少ない友人たちは少しずつ結婚していき、

呼べば応える関係性ではなくなり、

年に一度くらい顔を突き合わせるのが精一杯になっていく。

 

彼らが幸せになっていくのは勿論喜ばしい事だが、

自己中心的に考えるのなら俺の大事な飲み友達が

訳のわからんポっと出の女にカスめとられた。

これが俺の本音だ。

 

「やっぱり寂しいんだな」

 

と時折愚痴をこぼすと、友人たちは口を揃えて

「30過ぎれば彼女作って結婚して家庭でも持たないと

退屈と寂しさでどんどんつまんねぇ人生になっていくんだと思うよ。」と言う。

 

その通りだとは思う。

実際問題、今の快適な生活は快適なだけで目標も目的もなく、

食事のように日々を消化しながらただ無難に生存しているだけで、

娯楽として毎日のように行う映画や音楽の鑑賞は新しい作品が常に生まれているのに

ほとんどの物に既視感があり、興味を持つことが難しくなってきた。

 

飢えてないから幸せだ。と思える程苦しい人生を送ってきたわけでもない俺は、

ウスボンヤリした気分で随分先の死を待っているだけのように思える。

だけど、だから彼女を作って、家庭を築いて行こうと俺はどうしても思えない。

 

単純に異性との交際経験が極端に少なく、

10年以上も彼女がいないからイメージができない部分もあるが、

本質的に好意を持っていたとしても、

何年間も一緒に過ごして寝食を共にしたとしても、

尊重したり理解を深めていく事ができたとしても、

誰かが一緒にいる時点で俺はリラックスできない。疲れてしまう。

 

今なら何かしらの病名をつける事だってできるかもしれない。

けれども定義付けに意味はなく、俺はそういう人間だ、という悲しい結論しかない。

俺は母も父も兄も友人も愛してはいるが3日以上一緒にはいたくない。

帰りたい。帰ってほしい。そう思ってしまうタイプの人間だ。

 

その癖自意識も承認欲求も人並み以上だから、

矛盾した感情のバランスを取りながら人と関わったり関わらなかったりを

繰り返してる。

そんな人間にパートナーなど望むべくもない。

 

しかし寂しい。ただただ寂しい。色んなオッパイに囲まれて安らかに眠りたい。

肥大化するプライドと縮小される目標

先日、久方ぶりに文章を書いた。

とりとめのない俺の日常のボヤきみたいなモンではあるが、

読み返してみるとなかなか悪くない。むしろいい。

 

へへへ、と笑いながら何度か読み返すうち、

誰も読んでくれないのもつまんねぇと思いSNSで告知をしたところ、

ゼロイイネの連続記録がストップ、

とんと縁のないリツィートとかいう概念を久し振りに思い出し、

いつもより早い時間に携帯電話の電池が切れた。

 

認められるって、こんなに気持ちいいんだね!

満たされた承認欲求でお腹がいっぱい!今夜はグッスリ寝られそうだ!

なんてポップな話ではない。

 

俺は今非常にムカついている。

正確にはムカついている事を思い出した。

 

思えば12年ほど前からインターネットの片隅で

頼まれもしないのにガタガタとキーボードを叩き続け、

これでもか、これでもか、と繰り返すうちに首から加齢臭が

漂いはじめた。光陰矢の如しとは成程確かにそうかもしれない。

 

そして2018年9月27日、ウンザリする仕事をなんとか片付け、

作業ズボンの洗濯と、研いだ米が水を吸うのを待ちながら、

やはり俺はまたキーボードを叩いている。

何故か?

 

全く納得できていないからだ。クソのような文章が量産される

この平成30年において、俺が書いたラピスラズリのように

美しい文字の調べは悲しいくらいに認められていない。

イイネの数が30を超えた。

10人以上からリツィートされた。

何から何までズレている。

そんなもので納得できるわけがない事を思い出してしまった。

 

メディアに取り上げられる個人、注目される意見、集まる賛同。

そういったものが俺は羨ましくて妬ましくて仕方がない。

「テメーとオレと何が違うんだ?アァ?」狂おしいほど真っすぐな俺の本音だ。

 

違うのだろう。違うからこそ差ができる。

仮に俺の思うように俺の文章が宝石のように美しかったとしても、

そいつを皆が好むとは限らない。

俺が死ぬほど見下している、

俺より注目されているヤツは俺がしてこなかった何かを

してきたり、或いは俺が投げ出してしまった事を継続したんだろう。

 

たまに俺は、何年かに一度、こんな風に拗ねてみる時期がある。

腹立たしさに耐えかねて、思いの丈を誇張なしに

ぶちまけてしまう時がある。

 

そんな時に掛けられる言葉は決まって

「私は好きだけどな。君の文章…」

「ずっと読んでるよ。恥ずかしくって口には出さないけれども」

 

なんて感じの優しさに満ちた言葉だが、

俺が望んでいるのはそんな義務的でおざなりなフォローではなく、

燃えそうな程に高い熱量を伴う称賛と、

俺が、俺だけが気持ち良くなれる理解の証のようなものだ。

 

そうしたイラつきに耐えかねて、実生活では田舎に引っ込んで

人との関わりを可能な限り少なくした。

「ストレスの少ない生活こそが俺の求めている本当のアンサー」

そう思い込もうとしている。

理想と実現のギャップに眩暈を覚えるあの感覚から

手っ取り早く逃避した俺は確かに少ないストレスで、

けれどもそれ以上に少なくなった満足感を抱えながら

霧がかかったような心持ちで過ごしている。

職場では穏やかな顔を張り付けて俺が仕事をしているからか、

「誰かに怒る事なんて、あるの?」と聞かれてしまった。

俺は、本当は俺はその瞬間まさに怒っている。

怒りすぎて面倒になってきているだけだ。

 

俺のまわりは俺を理解しないヤツばかりだ。

俺は、俺は俺は俺は・・・もっとチヤホヤされたいんだ。

カリスマにもクレイジーにもロックにもなれない。

昨日、家に帰ると職場から給与明細が届いており、

明細と一緒に健康診断の結果が届いていた。

中性脂肪の数値が非常に高すぎます。再検査を受けて下さい。」

端的に言うとこう書いてある。

 

当たり前の話だ。

最後に酒を飲まなかったのはおそらく6年前にインフルエンザになって以来だから

2000日以上雨の日も風の日も休む事なく酒を体に注ぎ続けた。

病んでいる訳でもなく習慣だからだ。

もっと詳しく言うと俺にとって飲酒とは、酒とは親友であり恋人でもある。

守らなければいけない家族であり、適切な懺悔と反省を与えてくれる牧師でもある。

打ち込める趣味でもあり、日々仕事をしていく上で手に入れたい目標ですらある。

毎日履き替えなければならない下着と同じようにありふれていて、

けれども替えのきかない重要な存在。

シンプルに言うと俺を構成しているほぼ全てだ。

 

いい事があれば祝杯をあげるし、

悪い事があれば飲んで忘れる。

何もなければ飲んでいい一日とする。

そいつを欲望の赴くままに、時には義務的に身体にブチ込み続ける事は

褒められた事ではないが責められる事でもないと思っている。

 

ただし物理法則は止められない。俺の肝臓はゆっくりと確実に

固まりつつある。当然病院に行って薬をもらう。当然ではあるのだが、

なんでこんな事になっちまうんだ?とも思ってしまう。

 

親友や家族や恋人や教会が俺のすぐそばにあったなら、

こうはならなかったのでは?

或いは打ち込める趣味やどうしても購入したい高価な物質があれば、

俺はこうはならなかったのでは?

人生は選択の連続だ。

あの日、あの時、あのオレが別の選択肢を選んでいたら

今頃は家庭を築き子供を育てていたかもしれない。

言う事を聞かないわんぱく小僧を時にはしかりつけるけれども

基本的には優しいパパとして、立派な大人として良き夫として

日々を充実させながらキラキラ光る眼で生きていたかもしれない。

しかしそんな仮定に意味は全くない。

 

何故ならあの日、あの時、このオレはオレなりに考えて行動し、

対価を掴みとっているからだ。

 

その対価は一夜限りの楽しい時間であったり

矮小な自己満足でしかなかったかもしれないが、

20歳のオレ、25歳のオレ、30歳のオレ、無限のオレが選んで掴んだものに対して、

ツケを目の当たりにした32歳のオレが

「無駄な時間を…」と認めてしまえばもうこれから先

オレは動けなくなってしまう。

 

ついつい人は忘れがちだが怠惰な時間を過ごしている時間は

キャラメルコーンより甘露な味がする。

脳みそはとろけ、言語中枢は仕事を放棄する。

カーテンを開ける事すら重労働に思え、緩やかな惰眠を貪る決意をするその瞬間は

穏やかなエクスタシーと言い換えてもいい。

そういうものを、オレはキチンと手に入れてきた。

 

誰にも自慢はできない事だが、極上のファックより最高に違いない。

だからあまり昔の事は考えないようにするし、

無理して未来の事も考えないようにしている。

健康診断の結果をニタニタ笑いながら傾けるハイボールも、

なかなか悪くない味がするからだ。