カリスマにもクレイジーにもロックにもなれない。

昨日、家に帰ると職場から給与明細が届いており、

明細と一緒に健康診断の結果が届いていた。

中性脂肪の数値が非常に高すぎます。再検査を受けて下さい。」

端的に言うとこう書いてある。

 

当たり前の話だ。

最後に酒を飲まなかったのはおそらく6年前にインフルエンザになって以来だから

2000日以上雨の日も風の日も休む事なく酒を体に注ぎ続けた。

病んでいる訳でもなく習慣だからだ。

もっと詳しく言うと俺にとって飲酒とは、酒とは親友であり恋人でもある。

守らなければいけない家族であり、適切な懺悔と反省を与えてくれる牧師でもある。

打ち込める趣味でもあり、日々仕事をしていく上で手に入れたい目標ですらある。

毎日履き替えなければならない下着と同じようにありふれていて、

けれども替えのきかない重要な存在。

シンプルに言うと俺を構成しているほぼ全てだ。

 

いい事があれば祝杯をあげるし、

悪い事があれば飲んで忘れる。

何もなければ飲んでいい一日とする。

そいつを欲望の赴くままに、時には義務的に身体にブチ込み続ける事は

褒められた事ではないが責められる事でもないと思っている。

 

ただし物理法則は止められない。俺の肝臓はゆっくりと確実に

固まりつつある。当然病院に行って薬をもらう。当然ではあるのだが、

なんでこんな事になっちまうんだ?とも思ってしまう。

 

親友や家族や恋人や教会が俺のすぐそばにあったなら、

こうはならなかったのでは?

或いは打ち込める趣味やどうしても購入したい高価な物質があれば、

俺はこうはならなかったのでは?

人生は選択の連続だ。

あの日、あの時、あのオレが別の選択肢を選んでいたら

今頃は家庭を築き子供を育てていたかもしれない。

言う事を聞かないわんぱく小僧を時にはしかりつけるけれども

基本的には優しいパパとして、立派な大人として良き夫として

日々を充実させながらキラキラ光る眼で生きていたかもしれない。

しかしそんな仮定に意味は全くない。

 

何故ならあの日、あの時、このオレはオレなりに考えて行動し、

対価を掴みとっているからだ。

 

その対価は一夜限りの楽しい時間であったり

矮小な自己満足でしかなかったかもしれないが、

20歳のオレ、25歳のオレ、30歳のオレ、無限のオレが選んで掴んだものに対して、

ツケを目の当たりにした32歳のオレが

「無駄な時間を…」と認めてしまえばもうこれから先

オレは動けなくなってしまう。

 

ついつい人は忘れがちだが怠惰な時間を過ごしている時間は

キャラメルコーンより甘露な味がする。

脳みそはとろけ、言語中枢は仕事を放棄する。

カーテンを開ける事すら重労働に思え、緩やかな惰眠を貪る決意をするその瞬間は

穏やかなエクスタシーと言い換えてもいい。

そういうものを、オレはキチンと手に入れてきた。

 

誰にも自慢はできない事だが、極上のファックより最高に違いない。

だからあまり昔の事は考えないようにするし、

無理して未来の事も考えないようにしている。

健康診断の結果をニタニタ笑いながら傾けるハイボールも、

なかなか悪くない味がするからだ。